緊急帰国 due to COVID-19

またまた、久しぶりの投稿となってしまいました。

その間に世の中が大変な事態になってしまいましたね。

新型コロナウイルス

私も緊急帰国し本日でやっと全ての隔離期間も終わります。やっと

自分の計画も丸崩れで、皆さん同じ状況だと思いますが本当に残念です。コロナの影響を受けて私もオーストラリアから日本へ緊急帰国することに決め、本当にあっという間に事が進んでいったので、事態の急変から帰国そして隔離までのことを記していきたいと思います。

一応私自身3月の下旬までは普段通りに生活していたのですが、オーストラリア政府の外国からの入国禁止宣言により一気に状況が変わりました。

以下に外国人に関して特に影響がありそうな出来事と個人的な流れ。

 

3/15 オーストラリア入国者へ14日間の自主隔離義務

3/18 オーストラリア国民の海外渡航禁止勧告

3/19 タスマニア州への入州者への14日間の自主隔離(実質タスマニア州閉鎖です)

3/19 オーストラリアへの外国人の入国拒否

3/23 (Take away以外の)レストラン営業停止

3/24 退職

3/24-4/2 ホバート宿泊 ホバート→(Jetstar)→メルボルン

4/2 メルボルン宿泊

4/3 メルボルン→(Quantas)→シドニー→(ANA)→羽田

4/3-18 東京にて強制隔離(2w)

4/18-5/2 沖縄にて自主隔離(ホテル1w、自宅1w)

 

という感じでした。

私自身ほとんど州外からのツーリストのお客さんを相手にしているホテルで仕事をしていたので、19日のタスマニアが実質閉鎖されたあたりから仕事がやばくなりそうだなと思い始めて、

外国人のオーストラリアへの入国拒否が始まった日から飛行機の一気に飛行機の減便が始まってしまったのでほとんど考える間もなく帰国することになってしまいました。

 

帰国した理由としては

・車の故障(写真撮影✖️・UberEATS等✖️・タスマニアは車社会)

・コロナのため予定よりも早く仕事を辞めなくてはいけなくなったこと

・オーストラリア政府が外国人の帰国を促しているうえ、外国人への補助等がなかった

・海外保険は加入していたが、もしオーストラリアでコロナにかかってしまうと面倒になる

・以上踏まえ飛行機の減便により帰国困難になる可能性があったこと

 

オーストラリア出国まで

等が考えられたので帰国することにしました。この状況では目的の写真撮影、英語学習等続けることが出来なくなってしまったし、ビザの期限等もあるのでであまり海外に滞在するリスクの方が大きくなってしまったので不本意ながら帰国することになりました。悲しい(;_;)

まだまだやりたいこと沢山あったのに。仕事の休みを利用してタスマニアをロケハンしまくっていたので本当に心残りです.. 泣

政府の渡航制限が始まってからは、フライトのキャンセルが毎日のようにバンバン起こっていたので本当に心配でした。飛行機チケットの高騰もしていたので、もうすでにオーストラリア内の外国人は帰国困難者でした。ちなみに私が帰国する時には日本へはANAが1日1便シドニーから飛んでいるだけでした。現在は週に3便まで減っているようです。

 

退職してからは、ホテルのオーナーが帰国までは無料でアコモ提供してくれると言ってくれましたが、本当に急な帰国で色々と手続きがあったので職場の家を離れてホバートにしばらく滞在することにしました。

ここでコロナにかかってしまうと帰国も出来なくなってしまうし、フライトも毎日のようにキャンセルも出ているのでホントにビクビクしながら毎日過ごしていました笑

タスマニア政府からホテルへ旅行者は泊めないようにとの通達もあったので、ホテルも3件断られたし、あるホテルにチェックインする時にはタスマニア現地民以外はもう飛行機も飛ばないし明後日までにタスマニアから出て行かなきゃいけないと差別まがいの発言までされました。。。一応、みんな急な出来事に混乱していただけで、色々と誤解が生じていたので気にはなりませんでしたが、意図せず差別が起こってしまう状況になってしまっていることに少し怖いなと思いました。

 

帰国に際しては、色々と情報が飛び交っていたので、大使館や移民局等他にも色々と直接連絡していたのですが、たらい回しばっかりであまりあてにはなりませんでした。色々と勉強になったので振り返ればなかなか出来ない経験だなと思いましたが、リアルタイムではまじで怖かった、、笑

色々な州で14日間の隔離が実施されていたので、元々ホバートから羽田まで1日で移動するフライトでしたが、国内乗り継ぎが2回あって1個でも遅延すると帰国出来なくなる可能性があったので、移民局に問い合わせて、乗り換えでのメルボルン1泊は可能との回答を得たので、メルボルンで一泊することにしました。

メルボルンについてみるとロックダウンされていると聞いていましたが正直人が多いなと、、笑

翌日はシドニーへと飛び、その夜に羽田へと飛びました。

空港はホバートメルボルンも羽田もかなり閑散としていました。お店もほとんど閉店。

シドニーの日本行きの便を待つターミナルでは日本人が多くいてやっとここまで来て少し安心する事が出来ました。タスマニアに渡ってからは日本人とは関わりのない生活を送っていて、身近に日本人はいなくて、日本人同士で情報交換することもできなかったので本当に不安でした。

 

日本行きの機内は、帰国はほとんど留学生のようでほとんどの搭乗者が20代の若い人たちだったのでこれもなかなか珍しい状況ではないかなと思いました笑

小さい子や年配の人が全くいなかった。

 

日本帰国後

日本へ帰国してからは、まず空港にて検疫を受けました。タイミング悪く(?)私が帰国する前日くらいからオーストラリアからの帰国者は隔離が義務付けられました。

(検疫に関してはまた別で詳しく内容や思ったことについて書きたいと思います。基本的に帰国に際しての検疫に対してはザルでした。。水際対策を何とかってよく耳にしていたので、あの検疫の対応にはかなりがっかりしました)

その日はPCR検査の結果を深夜まで待ち、結果が出てから自分で予約したホテルへと行き東京での隔離生活がスタートしました。

親も心配してくれていたので、食料を送ってくれたりしてくれたので非常に助かりました泣

ホテルは部屋がかなり狭くて おまけに窓も開かず部屋から外が見えなかったのでマジできつかった。一応、食事は取らなければいけないので2,3日に一回、基本深夜に買い出しにホテルから出るだけだったので結構辛い、、

刑務所に入っている囚人でも、作業やら何やらがあるので、一日中牢屋に入れられっぱなしってことはないですよね、、囚人以下の生活でした。

沖縄に帰ってからは、赤ちゃんやおじーおばーが家族にいるので、念の為もう1週間ホテルで宿泊することにしました。

そしてもう一週間は自宅での隔離。沖縄に帰ってからはドライブにいったりやっと少しは自由のある生活ができるようになりました。やっと😢

タスマニアから数えて3週間以上部屋にこもりっぱなしの生活だったので

"家"じゃなくて"部屋"ですからね。家で隔離するのと部屋で隔離するのでは大違い。特に東京なんて外すら見えなかったし..(T-T)

なんやかんやでやっと沖縄での隔離も終わりを迎えました。

タスマニアの自主隔離から数えると合計39日(5週間と4日)笑

 

これからはまた沖縄でやるべき事が沢山あります

ただ、自主隔離は終わったはいいものの日本はGW真っ最中。コロナの影響でお店は閉まっているのですがそれに加えお役所関係も閉まっているので結局ほとんど動けないという笑

早くこの状況が少しでも良くなってくれることを願います。